承認欲求のあるなしは育った環境が関係?

 

あなたは承認欲求と聞くとどんなイメージを思い浮かべますか?

あまりいいイメージはなく、SNSなどでいいねが欲しいなど自分への評価を気にする人を浮かべますか?それとも自分自身がそうかもしれないと考えたり。

実はこの承認欲求は大半の男女が持っている欲求なのです。自分には承認されたいなんていうがめついものはないわ、と思っているあなた。表に出さないだけでふとした時に現れるものなのですよ。誰しもが持っていて、強いかそうでもないかの違いなのです。

そもそも承認欲求が強い人はどういう人なのでしょうか?誰でも大なり小なり人から認められたいという願望はあるものですが、特に強い人というのは小さいころから自分の評価がベースになって育てられてきたというパターンが多いのです。

自分がいい子でいるかどうか、成績がどうであったかというカテゴリで親や周りから評価されてきた環境で育ってきた、ともいえます。自分を認められていると実感するのが自分の存在ではなく、自分がやったことへの結果だけというのがベースになっているため、自分そのものに価値を見出せなくなってしまっている、それが承認欲求の強さのきっかけとなっているのです。

 

自己肯定感が低い人に多い?

 

このように幼少期から人に認められることで自分の存在をアピールしている人は、自分への承認を自分ではなく他人にゆだねてしまうのです。いい例が自己肯定感が高いか低いかです。自分自身を肯定する、いわゆる自分は自分でいいんだと認められる心です。

しかし他人からの承認欲求が強い人は自分を認めることができず、他人から肯定されることで初めて認められたと実感するので、自己肯定感は低いといえます。自己肯定感も承認欲求と同じでやはり育ってきた環境が大きく影響しています。

自己を肯定できる能力というのは周りから一人の人間として認められ、尚且つ見守られていると実感できる環境にいることで育てられていくものです。悪い意味での放任は子供にとっては過保護ではない分のびのびと育っているようにも思えますが、逆に愛されていないのでは、という不安が常に付きまとい、きっと愛されていないんだと思い込んでしまいます。

逆に親の擁護の下で育っているようにも見えて、何をするにも監視されているかのような環境下で育っている子供も、自分のためにではなく監視している親のために勉強したり怒られないために頑張るといった悪循環を繰り返し大人になります。

そうすると、自分がどこまで頑張ればよいのかわからず、過剰な自分否定へと走ってしまうのです。

自己肯定感も承認欲求も、周りの大人とのかかわりの中で子供の中で培っていくものなのです。

 

自分はここにいていいのかという不安

 

承認欲求が強く自己肯定感が低い人は、自分の居場所がここでいいのかという不安も背負っています。例えば既婚者なら夫からも子供からも必要とされており、居場所はそこにあるのはわかりきっているのに不安に駆られるのです。

幼少期から自分を認めることができず承認欲求も強い場合、必要とされているにも関わらず自分の居場所はここではないのかもしれない、と考えてしまうのです。最初に書いた通り、他人からのいいねが欲しいというのは、自分の居場所を探すための防衛策、なのかもしれません。

特に既婚女性は自分のことより家族のことを優先する方がいいでしょう。結婚して時間がバタバタと通り過ぎていくことを感じ、焦燥感に駆られることも少なくありません。言葉や態度で自分がしていることが認められていると実感できる毎日なら幸せなのですが、皆がみんなそうではありません。

自分がしていることで有難みを感じてくれているのかわからない家族、というのは少なくありませんし、家庭がまるで戦場のように感じている女性は多いのかもしれません。自分を過小評価してしまって、別の場所に承認欲求を求めてしまうのも仕方ありません。

 

一人の人間として認められていない焦り

 

人は自分はこれでいいんだ、と思えるまでにある程度人から認められている実績がないと、自分自身で認められないという傾向があります。特に承認欲求が強い人だと、人からどう見られているかがポイントで自己分析がうまくできません。

それは人として認められていないんじゃないか、という焦りにもつながってしまいます。普段周りから自分が思う通りの評価を得られている人は別の承認欲求というのが無くても自分を保てるもの。

しかし自分の自信がなく認められているという実感が湧かない人は、自分から承認欲求を満たすために行動を起こします。本当なら人は生きていく中で存在価値というのは生まれているはず。それが幼少期からの大人との関わりだったり環境で育っていないのです。

昨今はSNSで異性との関りを持つというのがメジャーになっています。それらを利用して承認欲求を満たそうとしている人が多くいます。一個の人間として認められたい、でも自分には人に自慢できるものもない、それらな、と女性性を全面に出して女性としての自分を認めてほしいと思うようになるのです。

それを逆手にとって女性に美辞麗句を並べ立て、自分の都合のいい女に持っていこうとする男性も少なくありません。まして既婚者はだれにも相談できないことを知っていながら近づくのです。自分を認めてもらいたい一心で男性の申し出に乗ってしまう既婚女性。そこに承認欲求の強さの脆さというのもあるのです。

 

承認欲求が満たされていない人は他人と比較してしまう

 

承認欲求の強さは異性に認めてもらいたいだけでは満足しません。実は自分と同じ女性に対しても承認欲求を満足させるために発動するものがあります。それがマウンティングです。

最近よく聞くようになったマウンティングは一見有利な自分を大きく見せるためと思いがちですが、実は承認欲求が強いあまり人を貶めて自分は相手より優れているんだと思い込もうとしているところから端を発しています。

自分を思う存分楽しめている人は何も他人を貶める必要もなく毎日充実した日を送ります。しかし特に既婚女性に多いのですが、自分の環境に悶々としていて、満たされていない自分の心の原因を突き止められず人を貶めることを覚えてしまう人が増えています。

満たされない自分の感情、承認欲求を満足させるのにうってつけなのがインターネットです。これだけ普及したきっかけが匿名であること、そこに自分の満たされない欲求と自己肯定感を乗せてしまいヒートアップするのです。SNSでも今やマウンティングしたり何かを発信したことで炎上したりが日常茶飯事で、人をぎゃふんと言わせることで優越感に浸るというスタイルが出来上がっています。

承認欲求が満たされていないと他人と比較してしまう。優越感に浸ったとしてもそれは永遠に続くものではなく、またすぐどうせ自分は、というループに戻されてしまうものなのです。

 

同じ女性をマウンティングするのは承認欲求の表れ

 

ただ、本人は他人を貶める行為が自分の中にある承認欲求や自己肯定感の低さの表れとは気づいていません。むしろ相手より自分が上だと思い知れ、と人に誇示しているのです。

自分と同性の女性をマウンティングするというのにも理由があり、例えば異性となると自分と比べるにはアンバランスで比較対象にはなりません。

自分と比較対象になりうる相手であることが基本。それこそが承認欲求を満たすためであることが伺えます。言葉には表さなくても相手をマウンティングする言葉の前には(私に比べて)というのが入ります。(私と比べて)あなたはこうよね、(私と比べて)そんなこともできないなんて、という風に。

マウンティングする、他人より自分が優れていると表現する背景には自分に対する劣等感も含まれており、承認欲求を満たすのと劣等感を和らげるというのは比例しています。

現代の女性は仕事でも家庭でも一定以上の仕事を要求され、それをこなそうとしています。家事は昔に比べ時間は短縮できるようになりました。しかしその分楽になったかというと家族に対する時間が増えただけ、または仕事での責任も増えるという時間が余るという事態には至っていません。

要求はされても忙しいだけで、自分が評価されているとは感じていないという女性が圧倒的なのです。

 

自分の居場所を求めて

 

自分は頑張っているのに全く認められていない、そればかりかダメ出しを食らっている、家庭の中でも仕事でもそう感じている既婚女性は多いもの。しかしそれを解消するのはなかなか難しいですよね。自分を認めてくれるところを探すのはある意味仕方がないのかもしれません。

承認欲求は誰しもが持っている欲求であることは前出で書かせていただきました。誰もが持っている欲求を人をマウンティングしたり自分と比較したりしないで満たすには、やはり自分自身が日々何かを目標にして楽しく過ごすということが必要です。

自分の居場所を探す、確かに自分が認められる場所に価値を見出すというのは必要かもしれません。頑張っている自分を肯定できずにいるというのは楽しくもないし、自分を卑下してしまう原因にもなってしまいます。

問題は自分の居場所をどこで探すのかということ。手っ取り早くというとネット、というのが思いつきます。実際にネット上で承認欲求を満たしている女性がいるのは間違いないですが、相当のリスクも負わないといけません。安易に自分を晒して危ないな、と人が思うところまで先走っている女性が後を絶たないからです。

一時的には異性からの反応で満たされる部分はあるかもしれませんが、やはりそれは一過性なのです。

 

ネットで承認欲求を満たす既婚女性たち

 

ネットは匿名性が高く、素性を明かすことなく人とやり取りすることが可能です。匿名であるからこそ少し大胆になっても自分のことを知られることはないと思いがち。異性から認められたという快感のようなものは女性として一人の人間として認められたようにも思えます。

が、果たしてそうなのでしょうか。確かにそこにあるのはありのままの自分かもしれません。一時は優越感に浸り異性からかけられる言葉に酔ってしまうこともあるでしょう。しかし、相手は本当のあなたを知ろうということではなく、エロティシズムな目でしかあなたを見ていません。

あなたの女性性としてというより、もっと見せてもっと出してという欲望が男性には存在しているので、あわよくば実際に会ってということを考えている人も少なくありません。

ネットで承認欲求を満たすのは、男性からの言葉を信じない・言葉の裏には下心が存在していることを心にとどめておく必要があります。今は気軽に絡んではリスクを承知で実際に二人きりで会う既婚者が多くいます。それは女性と男性ではスタンスが全く異なるということも理解しておきましょう。

 

自分のままでいいと思えるように

 

インターネットもそうですが、現代は文字でやり取りしている時代です。文字は自分を取り繕うこともできますし嘘もつけます。その嘘で自分が惑わされないようにしなければいけませんし、自分自身もプライバシーを表に出すことなく、嘘の自分を出しすぎると疲れてしまいます。

対して別の自分になりきって楽しむというのは楽しいもの。ネットで自分のアカウントを作るというのは本名の自分とは違う別の誰かになったような気分にもありますよね。ネットも使いようで、情報をインプットしてうまくアウトプットすると楽しめるツールです。

そしてまた楽しんでいれば、良い情報も自然と目に入ってきてそこにちりばめられている言葉に感動し自分を見つめるきっかけになるということも。承認欲求のはけ口のように利用すればどんどんヒートアップするものが、自分を見つめるために使うとプラスにも働いてくれるのです。

いつしか自分は自分のままでいいんだといえるようになれば、強い承認欲求も軽くなり低かった自己肯定感も少しずつ上がっていきます。ただ、文字だけでは相手の顔が見えません。確かに向こう側には血の通った人がいるのは間違いないのですが…。

 

リアルな出会いは承認欲求に効果あり!

 

顔の見えない相手との文字のやり取り、自分が得るものもあるのですが、やはり実際に会って人となりがわかって初めてリスペクト出来るというもの。

どんなにいい人であっても、人の表情に勝るものはありません。承認欲求を満たしたい、自己肯定感がどうしても上がらない、ネットでやり取りしていても自分のことを知らないのに美辞麗句ばかり並び立ててくる。

そういったやり取りで悶々としている既婚女性は多いのではないでしょうか。それならばネットで出会いを求めてしまうより、既婚者のみが参加できるイベントに足を運んでみませんか?初めての人といきなり話をするなんて、という人見知りさんも大丈夫。

申し込む際にイベントの主催者に初めての参加ということと少し人見知りで、ということを伝えておけばフォローしてくれます。誰だって一人でいきなり参加するのはドキドキもの。でも、その扉を開ければ、あなたと同じように始めはドキドキしながら参加しました、という人がほとんどなのです。

実際に顔を見て話をするので、相手の人となりが分かるところが一番。少しずつ溶け込んで楽しい時間を過ごしてみませんか?